東京高等裁判所 昭和24年(ネ)788号 判決
被控訴人は、控訴人に対し、控訴人が金五万円を提供すると同時に東京都足立区千住橋戸町四十番地所在鉄網コンクリート洗出造瓦葺二階建一棟建坪五坪二階五坪を本判決言渡後六ケ月の経過と共に明け渡し、且つ、昭和二十六年九月十二日以降右家屋明渡ずみに至るまで一ケ月金百円の割合による金員を支払うべし。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
この判決は仮に執行することができる。
二、事 実
控訴代理人は、主文第一ないし第三項同旨の判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴人は、控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の供述は、当審において新に左の点を附加する外、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。
控訴人の主張
(一) 控訴人は、被控訴人の家屋明渡の苦痛を軽減する為め、進んでその移転先を物色し、昭和二十五年八月向島区隅田町に木造瓦葺平家建一棟建坪十一坪五合の店舗向住宅を発見したので多額の権利金の支払を用意して、これを被控訴人に通じたところ、被控訴人は、場所が遠いとの一言の下にはねつけてしまつた。そこで控訴人は近所を物色し、足立区千住四丁目四十四番地所在木造瓦葺平家建一棟及び同区千住二丁目四十五番地所在木造瓦葺平家建一棟なる同一区内のしかも本件家屋より遥に場所柄のよい建物を探し出し、これ亦権利金支払の用意を整え図面及び位置を示して被控訴人の意向を尋ねたところ、被控訴人は、本件家屋でなくては生活できないとの理由を以て、即座にこれを拒否し、控訴人の申入に取り合わなかつたのである。
(二) 控訴人が他に自己の使用すべき店舗を求めずに本件家屋の使用を必要とするのは、本件家屋が控訴人の住居と別棟のように見えて、その実殆ど一棟の建物の如くその間僅に板戸一枚を以て隔てているにすぎず、その戸を取り除けば出入自在となり、控訴人の妻は控訴人の病気をみとりながら雑貨小間物商を営むことができる非常な便益があるからである。それ故、控訴人は、本件家屋の明渡を受ける為め被控訴人の移転先を探す労を採り、多額の権利金の負担をも厭わなかつたのであるにかゝわらず、被控訴人がこれに一顧も与えず、毫も互譲の色がないのはまことに情誼に反し、賃借人としての信義に背くものである。
被控訴人の主張
(一) 控訴人は病気の為め再起不能と称しながら、兎も角現在に至るまで堂々歯科医院を経営している。被控訴人は無資力の為め、他に移転することが不可能故、現住居と同格の家を附近に探してくれるなら移転してもよいとは最初から申し述べている。しかるにその間何の交渉もなく、昭和二十五年八月に至り向島区隅田町に家があると通知して来たが、場所が現住居と余りに隔絶している為めこれを拒絶したのである。又その後の調査によれば足立区千住四丁目四十四番地所在の家屋は近隣に同業者があり、本通より二町も東側に入つた所で常識的に考えても不適当であり、千住二丁目四十五番地の家屋は表通より三尺の路地を二十間程行つた路地奥の裏長屋で店舗としては全く採るに足りないことが判明した。
(二) 本件家屋と控訴人の住居とが板戸一枚を以て仕切られているとの控訴人の主張は事実に反する。実際は土台の高さ三尺の土蔵によつて区切られているのである。
(三) 控訴人は自己の現業務及び貸家收入があり乍ら、なお收入を増さんとして、被控訴人の立場を全く無視し、明渡を強行せんとしている。被控訴人が長年月を経て漸く獲得した営業上の地盤を捨てゝ他に移転することは被控訴人一家の死活に関する。本件明渡の要求には絶対に応ずることはできない。
<立証省略>
三、理 由
主文掲記の家屋が控訴人の所有にかゝり、控訴人が昭和十二年六月十八日被控訴人に対し賃料一ケ月金二十五円毎月末日払の約束で期間を定めず賃貸し、右賃料はその後値上されて昭和二十三年当時一ケ月金百円であつたことは、当事者間に争なく、原審における証人増田馨の証言及び当事者双方本人尋問の結果によれば、控訴人が昭和二十三年七月下旬頃その妻馨を介して被控訴人に対し自己使用の必要を理由として本件家屋の明渡を求め、以て賃貸借解約の申入をしたことを認めることができる。
よつて右解約の申入が果して正当の事由に基くものであるかどうかを審按する。原審並びに当審(第一回)証人増田馨の証言及び原審における控訴本人尋問の結果によれば、次の事実を認めることができる。即ち控訴人は本件家屋の後側に接続する住居に妻子五人と共に居住し、歯科医を開業している者であり、昭和二十年頃より肺結核に罹り入院治療の結果一時快癒したように見えたけれども、昭和二十三年一月頃病気再発し、屡次の入院治療も著効なく、現に自宅で療養中であるが、病症愈々増悪し業務に従事することは困難であるので、代診者を置いて歯科医業を継続して来たのである。しかしその收入は一ケ月金一万五千円程度で、その内から代診者の報酬及び経費を支弁せねばならず、資産としては自宅及び本件家屋の外に足立区五反野南町に住家三棟敷地百七十坪を所有しこれを他に賃貸しているが、よつて得られる賃料は一ケ月合計金千五百円位で、以上を通算しても一ケ月の純收入は漸く金六千円程度を出でず、このまゝでは到底一家の生計を維持することができぬ状況にある。更に歯科医業の方も代診者任せの為め患者は減少するばかりであるから、現在では代診を廃し、実弟が一週三回位好意的に診療を援助しているのである。かような状態の下では、控訴人はもとより十分なる療養をすることができない為め、病勢は容易に好転せず(仮に将来快方に赴いたとしても、体力を要する歯科医として再起することは望み難い)、控訴人が安んじて療養に専念しうるようその療養費並びに一家の生活費の不足を補う為には、どうしても控訴人の妻馨をして收入ある職業に就かしめるより外に手段がない。さりとて馨が病夫並びに幼児を残して遠く働きに出る訳にはゆかないので、雑貨商を営む親戚の援助を得て同人に小間物雑貨商を為さしめることとなり、現住居は路次奥にあつて商売に不向であるから、電車通りの本通りに面し且つ控訴人の住宅に接続して万事に至便である本件家屋の明渡を得て、ここに店舗を開設することを一家熱望している。控訴人は右の如き事情の下に被控訴人に対し賃貸借解約の申入を為すに至つたのである。ところで、原審証人小野寺信平の証言及び被控訴本人尋問の結果によれば、被控訴人は、本件家屋を賃借以来十数年の久しきに亘つてここに店舗を構え、ラジオ電気器具等の販売修繕を業として来たものであり、本件家屋の二階七畳半の間に被控訴人夫婦両親子供等合計八名の家族が起臥し(階下は店舗に使用)、一ケ月金一万五千円ないし金二万円の收入を挙げて一家の生計を支えており、他に資産なく、移転先の当てもないことを認めうる。かような被控訴人方の事情を顧みるとき、殊に多年の営業によつて培い得た地盤を捨てゝ他に移転することは、被控訴人として経済的にも将又感情的にも忍び難いところであることはこれを諒察するに余ある。しかしながら、前認定の如き控訴人側の窮境も、他に一家の生計を救う良策のない限り、本件家屋の明渡を得て目的とする営業を開始し、收入を計る以外にこれを打開する途はなく、これをそのまゝに放置することは許されない。被控訴人は他に転じても幸い生活の基礎たる健康に恵まれておるに反し、控訴人は一家の主柱でありながら重病に倒れて再起不能の状態にある。收入乏しくその療養も思うに任せない。借家法第一条ノ二は、建物の賃貸人は自ら使用することを必要とする場合その他正当の事由ある場合の外は解約の申入をすることができないと規定している。しかし本件のように賃貸人が家屋の明渡を受けてこれを利用する以外には生活を樹てる方策がない場合には、同条にいわゆる自ら使用する必要ある場合に該当するものと解すべきであり、仮令賃借人が明渡によつて多大の苦痛を蒙ることがあつても、まことに気の毒ではあるが、これも現制度の下においては止むを得ないところである。苟くも賃借人が家屋明渡によつて生活上困難することが予想される場合には、その責任を凡て賃貸人に帰せしめ、現に賃貸人が如何に困窮していようとも、如何に家屋使用の必要に迫られていようとも絶対に解約を許さないとすることは、決して借家法の本旨ではない。更に本件明渡交渉以後の経過を見るに、控訴人は、被控訴人側の都合をも考え「今直ぐではなく、相当の期間を置くから他に適当な家を探して明けて貰い、自分等の住居の二階一間を提供するから店舗の半分丈けでも明けてくれないか。」と懇請したが、被控訴人の返答は、「店舗は狭隘であるからその半分を明けることはできない。」とのこと故、「それでは全部明けてくれないか、期間も置くし、移転料も出す。」と重ねて申し入れたけれども、被控訴人は全然これに応じないのである。それで止むなく借地借家調停の申立をし、再三接衝の末控訴人側は世間普通の移転料なれば四、五万円は出すと申し出たが、被控訴人は恐らくは家屋の全価格にも等しい金五十万円の支払を要求した為め調停は不調に帰し、遂に本訴の提起を見るに至つたことは、原審証人増田馨の証言によつて明らかである。原審の被控訴本人尋問の結果は採用しない。なお又当審における証人増田馨(第二回)の証言によれば、本訴提起後においても、控訴人は、被控訴人の立退先を物色する為め奔走し、東武線鐘ケ淵駅近くに建坪十一坪余の新造貸家一戸、千住四丁目の繁華街にある商店向貸家外一戸等を探し出してこれを被控訴人に通じ、権利金五万円ないし七万円は控訴人において負担する旨申し出たけれども、被控訴人は現住居と同一町内でなければ駄目だとて一顧も与えずこれを拒絶してしまつたこと、そして被控訴人自らは移転先を探すため何等の努力も払わなかつたことが明らかである。被控訴人は控訴人申出の家屋はいずれも被控訴人の営業上不向であつて到底受諾しうべきものではなかつたと主張するけれども、これを認むべき証拠はない。当審においても屡々和解又は調停が試みられた。しかし被控訴人は結局同一町内で条件の等しい家屋の提供を受けない限り、移転補償として金五十万円の支払を得た場合にのみ、六ケ月後に明渡すことを承諾する。右条件は絶対に譲歩できないと主張して譲らないので、到底和解調停の成立する見込がなく、これを打ち切らざるを得なかつたのである。被控訴人が全然新な場所に引き移るとすれば営業上甚しい不利益を蒙るべきことも首肯しうる。それ故右の如き被控訴人の態度を一がいに責めるのではないが、それにしても被控訴人が極めて非協調的であり、相手方の立場に対する理解と同情を欠き賃借人としての信義に反する点なしとしない。
当裁判所は、以上縷述の如き事情を考量して、控訴人の為したる解約の申入は、結局正当の事由に基くものとして、これを有効であると判定する。そして本件賃貸借は少くとも当審口頭弁論終結の日たる昭和二十六年九月十一日当時においては既に六ケ月の法定期間の経過により終了し、被控訴人は本件家屋を被控訴人に明け渡すべき義務を負うに至つたものと認める。なお被控訴人が同月十二日以降明渡ずみに至るまで、一ケ月金百円の割合による賃料相当の損害金を控訴人に支払うべきことも勿論である。尤も控訴人は被控訴人の明渡によつて蒙るべき苦痛を軽減する趣旨の下に、金五万円の移転料を支払うべきことを申し出で、その提供と同時に本判決言渡後六ケ月内に明渡を受けることを以て満足し、本訴請求を右限度に自制しているので、本件家屋の明渡は右申立の範囲においてこれを命ずるに止める。
よつて右と認定を異にし控訴人の請求を排斥した原判決はこれを取り消し、該請求を認容すべきものとし、民事訴訟法第三百八十六条、第八十九条、第九十六条、第百九十六条に則り主文の如く判決する。
(裁判官 大江保直 梅原松次郎 奥野利一)